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東海道五十三次[大磯〜二宮〜酒匂川] 

2001/10/21 歩破
大磯宿と小田原宿の距離が比較的長いことから作られた、間の宿で大磯宿から 一里半の所にありまた。二宮は「梅沢の立場」とも呼ばれた小規模な宿で、江戸から 進むと急な下り坂、押切坂を手前に控え、籠や馬を止め一息入れたといわれています。 「江戸より十八里の地」

大磯宿を出て、西小磯に入り、いよいよ我が町、国府本郷へ向かいます。
滄浪閣を過ぎると正面にこんもりとした小山が見えます、これが城山公園 (じょうやま)です。
街道は平坦でほぼ真直ぐ続いています。八坂神社を過ぎ、200mほど進んだ右手に 北に入る小道があり、そこに(石屋の前)古そうな供養塔と道祖神があった。
供養塔には「西國三十三所順禮講供?」と書かれ、右、大磯… 左…みち とある。(残念 ながら草書が読めない…。字がかすれていることも有るが..) この供養塔は【東海道分間延絵図】にも載っており、 波多野道への分岐と思われる。
【相模国風土記】西小磯村:江戸より16里30町、戸数139、広13町、袤18町許
波多野道:西小磯より入り(海道より北に分折せり)萬田村を経、出縄村にて高麗寺 村よりの波多野道と合し、北折して大佳郡根坂間村に達す、行程30町余、幅6尺許

西小磯より城山を望む 西小磯の供養塔 切通し入り口 更に歩いて行くと、城山公園の手前に小川(血洗川)があり切通し橋が架かっている。 橋の手前、国道の左手に、道祖神がある。 城山公園の切通しを抜けるといよいよ国府本郷である。
自分も来た時に知ったのだが、国府本郷は大磯町だが、地域的には二ノ宮に 属するそうで、大磯の人達も国府本郷は下?という風に見ているようである。
江戸時代の大磯宿の外の国府本郷村…という歴史が物語っているのであろうか? 地形的にも城山公園で分断され納得できるような気もする。
【相模国風土記】国府本郷村:民戸114、東西11町余、南北20町余…
東海道、村の中程を貫く幅三間余、当所立場なり、東方大磯宿へ一里、西方山西村の 内梅沢へ一里の行程なり……村北の山間にまぐさ場有り。
[切通東方]、西小磯村東海道の往還なり、高8尺、幅2間半
[一里塚]、双こうなり、東海道の左右に対す、塚上に各榎一株を植、東方大磯宿、 西方山西村の里こうに、つづけり


国府本郷旧街道

【東海道分間延絵図】を見ると、切通の下には供養塚や地蔵が、左手には名号立石、身代地蔵 梅林寺がある。しかしながら切通の下は現在、城山公園の駐車場となっているが、供養塚、 地蔵は無い、また梅林寺もなく、身代わり地蔵は国道沿いの西長院に安置されている。
西長院供養塔 西長院題目石 西長院題目石 西長院本堂 本郷橋を望む 中丸、小坂

西長院に足を向けてみた、境内には題目石(宝永7年 1711年)と供養塔、小さな地蔵があり 、ひょっとしたら切通の下の物は道路改修時にここに移されたのではないか?と思った。
身代わり地蔵は堂内にあり、見れないが、看板に石造地蔵菩薩立像(148.7cm)鎌倉時代の彫 刻とある。
旧街道に戻り本郷橋で不動川を渡ると、道は上り坂となり左にゆるくカーブする。
このあたりに中丸の立場が有ったのだ、別名 栗餅中丸の立場からここでは栗餅でも 売っていたのでは…坂は小坂といったようだ。
宝前院本堂 宝前院馬頭観音 宝前院地蔵堂 坂をほぼ上り切った所の左手に宝前院があり、
境内に入りすぐ左手に地蔵堂が有った。
宝前院の前に北へ向かう細い道があり、さらに分かれる所に道祖神が有った。
ここが生沢村への道路であろう。(【東海道分間延絵図】参照)生沢村へ20町…

生沢道の道祖神 国府本郷付近 国府本郷六地蔵 旧街道に戻り400mほど行くと左手に墓地があり、そこに六地蔵が有った。
しかしながら、年号も無く地蔵の石の状態からも江戸時代の地蔵にしては新しく、 【分間延絵図】にある六地蔵と同じとは思えなかった。
江戸期の物が風化し、近年再建されたとも考えられる…。
そこから道路の左側が堤のようになって、国道1号線と合流する所まで続きます。
松の木が植えられていますが、その中に測量用の第1水準点が有り、そこが1里塚跡と 考えていたが…車で山西の一里塚跡からの距離を測ると、この辺になる…。
(2002.10に1里塚の看板がここに出来ました。) 六地蔵との位置関係から墓地の手前(東)の中丸公民館あたりに1里塚はあったのだ…。
絵図によると1里塚の前には高札があり、道祖神がある。
この道祖神と思われる物は中丸公民館の向かいの家の玄関前に5体ほど置かれている。
なお、国府本郷の旧街道沿の民家の庭には、お稲荷さんが祀られている家が非常に多い 事に驚く。
国府本郷の一里塚はこの先…
	道路標識の所に測量の水準点あり 国府本郷の旧街道 
	右の木はかなり太い 国府本郷にも松が若干残っていますが、松以外にも太くてかなりの樹齢の木が街道に 沿ってあります。
また、ここ国府本郷は平安時代に国府が置かれた事もあってか、いたる所に道祖神が 見られます。 城山公園から国道1号線と別れ、旧道に入りますが、南北の中道にもあちこち道祖神が見 られます。旧道に戻り、再び国道1号線と合流する所にも有ります。
旧街道が国道1号線と合流する、国府本郷の交差点に「国府祭(座問答)の標石」が 道路を隔ててあります。

いまから1350年前の大化の改新により「相武の国」と「磯長の国」 が統合され「相模の国」が生まれた。両国の一之宮の寒川、川匂とが国司の巡拝の順序を めぐり争った。見かねた比々多、前島、平塚八幡宮が仲裁した、その際の故事を儀式化し た祭りの標石がこれである。
交差点を渡ると国府新宿で、先に進むと、右手に赤い鳥居が見える、これが六所神社だ、 JR東海道線の下をくぐると正面に六所神社がある。
【東海道分間延絵図、資料】国府新宿村:家数115 東海道は東西に村の中央を 貫く、往還通りは8町30間、家並みは7町余、他は並木、村の東に北方へ行く伊勢原道あり 、村の南を宇田川(国府本郷では南川)が流れ、幅3間なり、漁船4艘あり
【相模国風土記】伊勢原道:国府新宿より分れ(海道より北に分折せり)中里、 一色の二村を通じ、足柄上郡 井ノ口村に出、行程1里余、幅8尺許


六所神社 宝積院カヤの木 宝積院の鐘楼 宝積院の石仏 JRをくぐる手前、右手に鐘楼が見えます。(大磯町で最も古い鐘で1631年製)宝積院の もので、門前には石仏があり、境内には樹齢400年のカヤの木が有ります。これ程バランス良く 成長することは貴重と説明書きがあった。

変電所前の道祖神 大磯と二宮の境の松並木 国道に戻り西進する、消防所の脇に道祖神がまた有った。その先左の道路脇にも…
晴れた日には正面に箱根の山々が見える。これから箱根越えをする人にはどう映ったのだろ うか?
二宮町に入り、少ないが松並木が見えてくる。
左手は河岸段丘のようになっており、松が生えているのが目に付く、ヒョットしたら旧東海道は 、あの松林に沿ってあるのでは?…と思ってしまう。
更に行くと、ゆるい坂を下り塩海橋を渡る。
【相模国風土記】二ノ宮村:民戸百八十…東海道往還、南方海浜を通ず、 幅三間許、大山道、東北に貫く、幅九尺、北道の中程に帰路あり土屋道と呼べり…
[塩海]、古此所にて塩を製造す。
[宇田川]、村の中央を流れ、国府新宿に達す、幅三間許、中里村、塩海川の下流なり… 東海道の係る所、土橋、長六間を架す。宇田川橋と称す、旧くは塩海橋と呼しとぞ…
波多野道:二ノ宮村より分れ(海道より北に分折せり)中里、一色の二村を通じ 、足柄郡井ノ口村に出、行程1里余、幅6尺、大山道と云り、或は波多野道とも云ふ
一は二ノ宮村前路より分かれ(海道より北に分折せり)虫窪村を歴て黒岩、西ノ久保、二 村の境を通じ大佳郡土屋村に達す、行程1里許、幅6尺


河原橋の地蔵 地蔵の下に左大磯、右小田原 地蔵の下に大山道 橋を渡り右折する道路(秦野道)が大山道であり、岐路は井ノ口と思われる。
江戸時代の波多野道は現在の道路の1つ先の信号を右に入った通りで、秦野道(はだのみち)の バス停が入り口にある。その道はJR東海道をくぐり、県道71号線と合流する。
東海道から北へ230m程行った河原橋傍の県道71号線の右手には大山道の地蔵、庚申塚が有った。
塩見橋を渡ると、街道はゆるい登り坂となる。JR二宮駅の前を過ぎると、山西である、山西に 入るとわずかだが、再び松並木がある。





【相模国風土記】山西村:古くは川匂村と一区にして梅沢の里と呼べり、 古此地、梅樹多し、其実を売るもの許多あり……東西十六町余、南北十二町余、民戸百二十… 東海道南方を通ず、幅三間半より四間に至る。
小名越地に立場あり、梅沢の立場と呼ぶ、茶屋軒を連ね諸侯の憩息所等もありて、頗(すこぶる) 繁栄なり。
一里塚:立場茶屋の東にあり、双こう相対す、南側高一丈余(3m)、榎樹を植、北側 高 一丈二尺余、槻樹を植、東は郡中国府新宿、西は足柄下郡小八幡村の里こうに続く…
:巽方にあり、潮千六七間、船十三艘、地引船七、小買附船と称するもの六を置く、 漁魚は大抵前村に同じ(鮪、鰹、比目魚、鯖の類多し)アンコウを此浜の名品とせり、 河岸場ありて貢米、竹木、炭薪等を運致す、江戸迄海上三十六里、此海浜を袖ヶ浦、小ゆる ぎの磯など呼り。
大磯宿の船着場、山西村海辺、字押切にあり廻船其外、貢米岸地なり、按ずるに大磯宿地福 寺の山号を着船と呼び、元大磯海浜にありしを其後、今の地転ぜしにや…


さら更に進むと「むかしのなごり」の道標があり、ここで国道1号線と別れ、斜め右の旧道 に入っていく。
旧道に入り、すぐ右に吾妻神社の鳥居と神奈川百景の碑が目に入る。
吾妻神社はJR東海道線を越えた吾妻山にある。 百景にそそられ、脚を向けたのだが、こ れが大失敗、山の中腹にでもあるのだろうと思ったのだが、実は山頂付近にあった。
二宮駅付近(山西)の松並木 吾妻神社 きつい山道で息も絶え絶えで(運動不足も有り......)、神社まで登った。
神社からは相模湾は望めず、途中八合目あたりからのみ景色が望めた。(但し木が多く、 パノラマまでは行かない..)
なお、国道を走っていると吾妻山にニョキッと1本の松の木が目につくが、この木はこの 八号目付近に生えている松であった。
山を下り再び旧街道に復帰、道は右にカーブしながら下って行く、右手に醤油屋(宮戸醤油) の古い蔵が有り、小さな沢の橋(梅沢橋)がある。
橋の左は海岸へ、右には小さな相模三番観音堂がある。街道は橋を渡り上り坂となり右に カーブする。
なんと無く昔の東海道の面影を感じる。 坂の途中の右手に藤巻寺があり、境内には1622年徳川家光が上洛の際、ここに寄って、藤の 花を見たという、樹齢400年の藤の木があった。それほど大きな藤ではなかった。 ここの藤についても【相模国風土記】に記載がある。

【相模国風土記】等覚寺:境内観音堂前に古藤樹あり、花は紫、白の二種なり、元和九年、大猷院殿 御上洛の時、当寺に御駕を駐給ひ、藤樹台覧せさせ給う、其時賜物あり、今に寺宝とす。 以後、藤巻寺の別号がついた。

梅沢橋付近 藤巻寺の藤 山西の道祖神 茶屋町道祖神

梅沢の一里塚跡 梅沢立場、電柱の先が
	松屋本陣跡、その先が押切坂… その先の山西の火見櫓で再び国道1号線と合流するが火見櫓の下に道祖神があった。 国道を歩き、川匂神社入口の交差点までくると、左手に茶屋町の薬師堂があり、 薬師如来坐像がある、(坐像は珍しいらしい)そのお堂の前にも道祖神がある。 また、お堂は横断歩道橋と繋がっており、歩道橋を渡り1号線の南側にでると、江戸より十八 里の一里塚跡がある。 旧東海道は、ちょうど一里塚跡の石柱から再び国道1号線と別れ、斜め左に入っていく。
この付近が「梅沢の立場」といわれた間の宿で、川匂神社を控えた街道沿いの門前町としても 古くから賑わってきた。 今は全く面影はない。
昔の茶屋のあっただろう通りを100m程歩いて行くと、左手に松屋本陣跡の標柱がある。 回りも単なる閑静な住宅街の雰囲気である。
その先が箱根駅伝の中継で有名な「押切坂」となる。但し、駅伝の坂は旧道ではない...
坂を下り、国道1号線と合流し、中村川に架かる押切橋を渡ると、羽根尾村、そして前川村 (ここから小田原市)だ、この辺は入込んでいて、現在も飛び地が存在する。 (地図をご覧ください)

【相模国風土記】羽根尾村(小名押切):家数三十四、東海道、巽に係る幅五間、大山道南北に貫けり、幅一間 とある。前川村:東西十四町余、南北五町余、民戸百六十三、東海道村南を貫けり、幅五間 、海道中小名向原にて北に入、一路あり、大山道なり、幅六尺、此道の人馬継立をば当村に て勧め大佳郡曽屋村に達す道程三里…土産は蜜柑(みかん)で将軍に献上する程であった

左手すぐには相模湾が望める、川には大きな鯉が何匹も泳いでいた。 橋を渡ると、交差点、右は中井町に…、東海道は直進…上り坂となる。 交差点の右側10m位入った所の路地の奥に神社(荒神)?があり、裏に風化した庚申塚が置かれ ていた。
街道に戻り、100m程で、塔台橋が架かっている。橋の左手に墓地があり、古ぼけた墓石も 多く見られた。
坂の途中に西湘バイパスの入り口がある。
ゆるいが長い坂を上りきると、下り坂となる、左手に相模湾が開ける。 昔は、今のように住宅が無かったので常に左手に海を見ながら街道を歩いたのであろう… この下り坂が車坂である。坂の途中に歌碑がある。
車坂 小田原方面を..       鳴神の声もしきりに車坂
          とどろかしふるゆう立の空  大田 道潅
      浜辺なる前川瀬を逝く水の
         早くも今の暮れにけるかも  源 実朝

      浦路行くこころぼそさを浪間より
         出でて知らする有明の月   阿仏尼


【相模国風土記】車坂:は海道中に西に下れり一町許の坂あり…
韓使来礼の時は此地路傍に休憩の茶屋を建るを例とす、其間口百三十間余....


車坂を下った右の果物屋の右に入る路地に大山道標(大山道印石)が有った。(天保5年建立)
ここより大山不動へ5里、十日市場村へ3里、中村原へ6丁への道程である。
またこのあたりは、道祖神が多くある。大山道標の北、JR東海道沿いにもまとまった道祖神が 有った。
JR国府津駅の少し手前の西前川の路地を右に入ると、加藤清正の像がある...覗いてみると 清正公堂があった。
車坂 大磯方面を… 大山道標
再び街道に戻る、まもなく国府津だ、左手はすぐ相模湾、国道右の松は昔の名残だろうか?
国府津駅前の坂を上りきると、左手奥に親鸞ゆかりの勧堂がある。(親鸞は7年間この地に住み 布教をしたのだ....)
重要文化財らしく、建物の中に保存され、全く見えなかった。残念!
西前川付近まもなく国府津 帰名堂の碑 真楽寺の菩提樹 街道を更に進むと右手に浄土真宗の真楽寺があり、境内には親鸞が指先で名字を書いた といわれる2m程の石が安置された堂がある。(中は見れない)また、本堂脇には菩提樹 があった。
相模は日蓮宗のお寺が多いように思われたが、この辺は親鸞にゆかりがあるのだ…。
【相模国風土記】真楽寺:聖徳太子の開にして天台宗の古刹なり、安貞のこ ろ親鸞、当国化盆ありし時、現在性順、師資の約をなし、一堂を建て是に移り親鸞をして 当寺住せしむる事七年、夫より親鸞、寺務を上足顕知に譲りて帰治ありし

真楽寺を出て、次の信号を右に入り、JRの線路を越えたところに「わらべ歌 とうりゃ んせ」の発祥の地、菅原神社がある。 菅原神社 境内には「曽我兄弟の隠れ石」(敵討ちの相手を見つけるも、多勢に無勢のため、 兄弟がこの石の陰に隠れて見送ったという言い伝えのあるその石)や自分体の悪い所を 撫でた後、牛を撫でると、体が良くなるという、「なで牛」がある。

街道に戻るとじきに、森戸川で、親木橋を渡る。ここは大きな交差点で、右に行くと 松田に通じている。
【相模国風土記】森戸川:村西を流れ幅三間半(6.3m)、直に海に入、東海道通ずる所、土橋を架す、古は 板橋にて西望するに富嶽まほに見ゆ、因て此辺にては富士見川とも呼ぶ…
国府津村:民戸二百五、東西四十二町二十間、南北十三町四十間…東海道南に係 る幅五間(9m)、此余、二條の往来あり一は曽我道、一は府中道、道了権現に詣ずる路 (大山道)、石標を立...


菅原神社を通り北に向かう道路(途中県道72号と合流)が曽我道、森戸川を渡り北に通じる 県道72号のJRの下をくぐり、左折した道路、 巡礼街道が府中(ふなか)道で道了権現(最乗寺) へ向かう(中里村では富士道となる)。
東海道は真直ぐ…小八幡村に入る。
相模国風土記の通り晴れた日には富士山が望める、ちょうど進行方向(西を向いて)45度の 方角に・・・・。




歩いて行くと、左手に大きな、太い松が見えてくる。一里塚では…と思うも、案内は無い バス停も一里塚なのだが…そこから20m程先の民家の前に一里塚の案内板があった。
江戸から19番目の一里塚で「小八幡の一里塚」である。
小八幡の一里塚周辺 造幣局付近 【相模国風土記】小八幡村:家数九十六、広十町十六間(1.1Km)..... 東海道村の巽方(東南)を貫く、幅五間(9m)、路の左右に松の並木あり、此地立場なり、 上は小田原宿、下は淘綾郡山西村小名梅沢立場まで各一里....
一里塚:東海道の東にあり、左右相対せり、高二間(3.6m)、舗(つらなり)六七 (10.9〜12.7m)間塚上に松樹あり、上は小田原宿入口1里塚、下は淘綾郡山西村小名梅沢の 一里塚に続けり


このあたりからまたポツリ、ポツリと松並木がある。
ここから酒匂川まで2Km程、途中にあるお寺、神社に寄って見たが、特筆するものは無かった。
川辺本陣 連歌橋の手前の右側の観光土産物店の隣に立派な門構の家がある。
向かいには地蔵尊が有る。帰宅後、調べてみると、川辺本陣の跡との記述が【東海道分 間延絵図】のガイドにあった。
昔は現在の場所の向かいにあったそうである。川辺本陣について風土記等を調べて見るも 昔、酒匂には御所があったとの事だが本陣についての記述は見つからなかった。



【相模国風土記】酒匂村:江戸より行程十九里十町、民戸百十八…
村名の由来については【海道記】に道は順なれども宿を逆川と云所に泊る、汐のさすとき 水の上ざまに流るれば逆川という云々…とある。
また、酒匂川の呼び名については【金塊集】に二所詣下向に浜辺の宿の前に前川といへる 川あり雨降りて水増りしかば日暮て渡り得るの前川は現酒匂川である。
酒匂川については当村傳ヶ橋(菊川に架かる)辺より、対岸網一色村埋橋に至るまでの間 を河原幅となす、其幅五町二十間なり、此川古は丸子川と唱うとある。
高札場:(川高札)は西進し傳ヶ橋の手前右手に有る。川越の掟を示す所なり、 高札凡四枚あり、
其一曰、定、往来の旅人に対し、川越の者かさつ成事すべからず、無礼悪口等の事あるべか らず、たとひ軽き旅人たりと云ども大切に思いあやまちなき様念を入べき事
川会所:高札場の向にあり、間口七間、奥行四間、対岸網一色にも亦川会所あり
川渡場:酒匂村、網一色村、山王村の三村にて歩行人夫を出し、其役を勤む、人夫は三十九 人を定額とし・・・・・十月五日より明年三月五日に至るの際は土橋を設け往来を便す。
菊川、西方を流れ、村南にて海に入、幅四五間、十間余に至る
東海道の通ずる所に土橋を架す長さ十二間、幅二間半余、傳ヶ橋と呼ぶ


傳ヶ橋は現連歌橋であろう。酒匂川、手前の交差点の左の法船寺は日蓮が大水で酒匂川を渡れずに困っているときに、 導いたとの、お手引き地蔵がある。(相模国風土記には記載は無い)
ようやく酒匂川だ…。


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