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かまくら道


ここでの鎌倉道とは戸塚宿の道標にある「かまくら道」で「鎌倉街道」とは別の物です。
この「かまくら道」は江戸幕府により「浦賀道」と呼ばれ、「浦賀道見取絵図」に描かれた 道です。
「浦賀道見取絵図」:寛政年間(1789-1801)に幕府命により道中奉行が編集し、 文化3年(1806)に完成したものです。


日立前の鎌倉道標、手前が鎌倉道 日立前の鎌倉道標 日立前の鎌倉道標 「東海道分間延絵図」によると、戸塚宿の天王町を過ぎ八坂神社を過ぎると右手に高札場があり、 その先に天王橋があり、橋を渡るとその先はT字路となっていた。
T字路を直進すると東海道、藤沢宿へ…左折する道が今回歩く「かまくら道」であった。
残念ながら現在残っている物は八坂神社くらいで、天王橋も見当たらない。
交差点を左折、まもなく右手に日立製作所の正門が見え、そのチョイ先に、絵図に有った道印が有った。
昔は分岐点に有ったはずでだいぶ移動された事になる…。
ここから鎌倉八幡まで二里九丁の道程で、道標には宝永七年(1711)の銘があった。
道を直進し、高嶋橋を渡り上倉田に入ると正面のJR東海道線の先の山の中腹にお寺の本堂が 見える。
そのままJR東海道線にぶつかるまで直進し左折すると、人とバイクが通れる隋道が あり、JR東海道の反対側の道に出られた。(車では残念ながら工場とJR東海道線で分断され直進する 事は出来ない。)
JR東海道線に並行するこの道は吉田大橋の手前(浮世絵にある鎌倉道の道標の所、道標は現在妙秀寺にある) を左折し、柏尾川沿いに続く鎌倉道で、ここで合流する。
その道を左折して間もなく、斜め右手に子ノ八幡社がある、ここには神奈川で最も古い 庚申塚があるとの事で、覗いて見た。
境内には8つの庚申塔がまとめられており、右から安永3年、宝暦9年、貞享5年、文久3年、嘉永6年、 元禄10年、明治?、明治? 明治3年の銘が見られた。
子ノ八幡社 子ノ八幡社の庚申

来た道を戻り、先ほど見えたお寺に向かう…。
見えた寺は蔵田寺であった。
今回は「浦賀道見取絵図」に基づき歩いているが、絵図を見ると当時の 蔵田寺はかなり大きな寺であったようだ。
妙秀寺境内の鎌倉道標 蔵田寺山門 蔵田寺の地蔵 蔵田寺題目石 蔵田寺題目石、道標 見取絵図にある本堂の前に並んでいる六体の地蔵は現在は境内の小さな祠に安置され ており、その脇に有った題目石には元禄13年(1701)の銘が有り、「是よりとつか本宿江道」と刻まれている。
蔵田寺を出てすぐの「かまくら道」に並行する山道(寺から50mのマンション脇)に墓地があり、宝永年間 (1704-11)の銘の供養塔があった。
上倉田付近の鎌倉道 左手に道標.. 上倉田の道標 一山越え山道を下ると上倉田のバス停のある「かまくら道」に合流、左折しすぐに「右かまくら道」 「左りむらみち」の道標があり、寛政10年(1799)の銘があった。
道標から200m程行くと豊田の立体交差入り口(高嶋橋から車はこの交差点まで迂回 しなければならない)だが、そのチョイ手前左の山の中腹に林宗寺があった。
絵図では宗林寺になっているが、後日調べた【相模国風土記稿】では林宗寺となっており、 絵図の間違いであろう…。訪ねてみたが新しく建て直したようであった。


旧道の入り口を振り返る この先、右手に道標 めんかけの道標 林宗寺の先からが下倉田である。

旧道はその林宗寺先の道を左に入る、道はゆるやかに左にカーブし、そして右に カーブし、左に八幡社に入る狭い路地がある。
右手に進入禁止(一方通行)の道があり、そこに道標が建っていた。
道標には「めんかけ如来道 かさこひ太子道 右かまくら」「面懸阿弥陀如来江ノ道」 「龍臥山咏勝寺 かまくらへ行ぬけ」天明8年の銘があった。
そのまま道なりに行くと咏勝寺に向かい、鎌倉古道である弘明寺道に繋がっているはずだが、 「かまくらへ行ぬけ」とは咏勝寺を抜け、鎌倉古道に抜ける道を指しているのだろうか?
今回はここを右折する.....この道も緩やかに蛇行しており、途中、絵図にもある延命地蔵の 前を通り、その先で現在の道と合流する。
旧道は現在の道を右に、左に跨いでいたようである。
正面やや右に地蔵堂 下倉田の延命地蔵 この先で現在の道と合流



【相模国風土記稿】上倉田村:江戸より行程10里8町余 民戸47 東西8町余 南北10町余 東、舞岡村 西、戸塚宿 南、下倉田村 北、吉田町
鎌倉道係れり、幅9尺より2間に至る。 戸塚宿より東折して当村に達す、吉田町大橋邊より南 折して柏尾川堤上を通ずる捷徑も村内にて此路に合す。
高札場:布施、外ヶ谷、松ヶ谷、堰場、折部橋
寺:盛徳寺、蔵田寺、林宗寺
【相模国風土記稿】下倉田村:江戸より行程11里 戸数48 東西10町南北6町 東、舞岡村 西、戸塚宿 南、長沼、飯島二村 北、上倉田村 巽、小菅谷村
鎌倉道村北に係る、幅2間  高札場:上河内、中河内、下河内 
寺:萬松寺、永勝寺

下倉田

下倉田の交差点より160m位先のバス停の向かいの岡の中腹に小さな墓地があり、古い供養塔 があった。(延宝?の銘)
そのすぐ左手に入る道に「南谷戸のおおわらじ」が有る。
説明書きによるとここは鎌倉時代より道祖神が祀られ、南谷戸村民は草鞋を奉納し、 家内安全、無病息災を祈った。
この鎌倉街道を往来する旅人はここを小憩の場として利用し、奉納された草鞋を旅人 や僧侶は履き替えて、旅立った....。
いつの頃からか村民が総動員でおおわらじを作り奉納するようになり今日に至っている。
大草鞋の下に道祖神、庚申塔、燈籠があり、享和二年(1803)の銘があった。
絵図中の下倉田村の供養塔は上記の供養塔か、おおわらじの場所であろう。
南谷戸のおおわらじ 南谷戸の燈籠 南谷戸の庚申塔 右端が長沼八幡宮 長沼八幡宮の庚申塚



環状3号線の交差点を過ぎると長沼で、左手の小山の上に神社が有った、長沼八幡宮である。
結構きつい階段の参道を登ると、祭礼の準備をしていた。
境内には庚申塚がまとめられており、享保12年(1728)、寛文12年(1673)の銘が読み取れた。
八幡宮から「かまくら道」を隔てた反対側に正安寺がある。
正安寺は親鸞ゆかりの寺で貞永元年(1232)8月親鸞上人がここに7日間いて布教し、 本尊の阿弥陀如来を彫ったとされている。
境内には石仏があり山門前の題目石には寛政4年(1792)の銘があり、江戸築地の 本願寺講中が寄進したとある。
正安寺の山門 正安寺の題目石 正安寺の石仏郡

正安寺を出ると鎌倉道は左にカーブしながら登り坂となる、ここが貝殻坂であるが、 絵図に貝殻坂の記載は無い....。

【相模国風土記稿】長沼村:江戸より行程10里17町 民戸33 東西5町  南北6町余 東、飯島、下倉田二村 西、戸塚宿 南、飯島村 北、下倉田村
鎌倉道係る幅8,9尺 高札場:小谷、堀内、辻前 寺:正安寺、長徳寺

飯島

貝殻坂。 飯島の地蔵 飯島の庚申 右手に飯島地蔵..えんま坂に続く 鎌倉道は突き当りで大きく左にカーブ… 貝殻坂を下ると道は右にカーブし飯島に入る。 道路は絵図の通り山と山の間を通る感じだ。
カーブを曲りきって直線になった先の右の小高い所に地蔵、庚申が有った。
地蔵には嘉永元年(1848)の銘があった。
場所は絵図の通りである。(地蔵の脇の坂道に「えんま坂」と名前がついていた。)


【相模国風土記稿】飯島村:江戸より行程12里 民戸85 東西18町余 南北12町余 東、小菅谷、西長尾台田谷、金井三村 南、笠間村 北、長沼、下倉田二村 及び戸塚宿
鎌倉道村内を貫けり、幅2間 高札場:横まくり、下坂、永谷、大井戸谷、五段田、宮前 、広谷、北ヶ谷、南ヶ谷、三宮、…
柏尾川、村の西南界を延旦す。本郷川、村の南界を流れ.... 寺:般若院、光長寺

三嶋神社前の供養塔 「かまくら道」をへだてた反対側の山の麓に寺の本堂が見える、行って見ると般若院があり、 門前に頭の無い地蔵や、庚申塔がある。
その先には三嶋神社があり、安政6年(1860)の銘のある供養塔、手水石があった、ここでも 祭礼の準備をしていた。
三嶋神社を出ると先ほどの地蔵の先で直角に左折した「かまくら道」と合流する。
そうしてJR根岸線の下を通り、道は上り坂となる。


三嶋神社 新橋交差点 新橋の延命地蔵 新橋の道標

坂を上り切ると、小菅谷に入る。ほぼ真直ぐな坂を下りきった所に「いたち川」が 流れている。
かなり綺麗な川で水草も生え、亀、鯉が見られた。
川に掛かる新橋(にいばし)の左端に道標と延命地蔵があった。
道標には「従是とつ加道 左よつかミち 元禄四年(1692)」「従是ぐミやうじ道」と読めた。
左に行く道は鎌倉時代からの古い道である。
ちょっと寄り道をしてこの道を歩いてみた。
くめやうし道 新橋すぐ 力石 西本郷小付近 地蔵から200m程歩くと西本郷小があり、前に小菅谷の「力石」が有った。
石には三十〆目(30貫目:112.5kg)と彫られていた、説明文によると江戸末期、村の若者の力比べに 使われていたものとの事であった。
その先は車が交差できないくらいの道幅となり、左手に馬頭観音(文久3年(1864))、庚申塚(明和元年(1764))、 地蔵が有った。

道祖神 くめやうし道 茶色の家の脇… くめやうしの道標 先に進みJR根岸線の高架の下をくぐると、3ッ又に分かれる道があり、そこに「くめやうし道」の道標が有った。 道標には「庚申供養 同行六人 正徳5年(1715)」と刻まれていた。
くめやうし道は真ん中の道である…。
この道は日影地蔵へ続くようである....それにしても「くめやうし」とはどんな意味がある のだろうか?疑問に思いながらも「かまくら道」に戻る事とした....。
その後の調査の結果、横浜市南区の「弘明寺(ぐみょうじ)」への道である事が判明した。
詳しくは弘明寺道を参照してください。

【相模国風土記稿】小菅谷村:江戸より行程12里 民戸79 広6町余 袤26町余 東、鍛冶ヶ谷、上野庭二村 西、飯島、下倉田二村 南、笠間、桂二村 北、永谷村
鎌倉道西南の方を通ず、幅2間より2間半に至る、又古道と称するあり、南方笠間村界にて今の道 より北に折れ村の中央を貫き、永谷ヶ村に達す、幅6尺より9尺に至る。
按ずるに正保の国圖には此道を本道とす。
高札場:猪鼻、青婁ヶ橋、つのがた…   いたち川、南界を流る、幅4,5間  兼好法師「いかにして、たちしに日より、ちりにきて
鎌倉古道の係る所を架す、長さ6件、新橋と昌う。
大船

新橋に戻り、橋を渡ると、笠間十字路で県道23号線と交差する。
道を直進すると笠間町となる。

【相模国風土記稿】笠間村:江戸より行程11里20町余 家数60 広14町余 袤12町余 東、公田、岩瀬二村 西、長尾台村 南、大船村 北、飯島、小袋谷二村
高札場:反町、田立、岩井口  戸塚宿より鎌倉鶴岡への路村内の係る、幅2間
寺:正安寺、長徳寺、金蔵寺


笠間十字路を左折し県道23号を東進すると、鎌倉女子大に行き、現在の鎌倉街道と ぶつかるが、この道路が古くから有る物か否かは解らない…。(現在の道路の地形から判断し、 新しい道?と思うが…)
交差点を直進し、100m程先の左手に今泉村不動があった。
台座に寛永7年(1631)の銘が有ったが、像はおそらく近年置かれたもののようで、大山道標の ようであるが、岩瀬村から分村した今泉村の内にある不動滝への信仰から建てたものだそうだ。
そのすぐ先に法安寺があり、古そうな題目石があるが刻まれた字は読み取れなかった。
境内に入るも特に何も無く、「浦賀道見取絵図」のにある観音堂も見当たらなかった。
今泉不動 法安寺山門 仲宿付近 先は青木神社… 笠間の庚申

法安寺を出ると、仲宿のバス停が有り、右に入る細い道がある、入ってすぐの左手に道祖神 が有った。
いかにも狭い山道であったが、ここが絵図の藤沢宿へ抜ける道であろう。
もとの道に戻り、進むと右手に庚申塚が有った。(左から2番目のものは正徳4年(1715)の銘)
右端の物は地蔵とも見れ、絵図の高札場のあった所と思われる。
青木神社参道 青木神社 郵便局の先が砂押川…戸塚方面

明治時代の大船の地図 そこからすぐ先左手に、青木神社への参道がある。かなりきつい階段であった…。
絵図の通り、青木神社から先は左右の山が切れ、左手には資生堂の工場がある…。
程なく右手に大船郵便局が見え、その手前に小さな川が流れている。(砂押川だ..)
絵図ではこの川に架かる橋が砂押橋となっているが、現砂押橋はこの橋より300m ほど東の現鎌倉街道に架かっている。
絵図の間違いなのか....?
橋を渡ると絵図では左手に山(腰山)が有り、その裾沿いに「かまくら道」が通っている。
残念ながらその山らしいものを探しながら歩くも、宅地造成で崩されたのか、 見当たらなかった...。
【相模国風土記稿】岩瀬村:江戸より行程12里 民戸39 広10町袤4町許 東、今泉村 西、笠間村 南、大船村 北、桂、公田二村
高札場:瀧ノ台、瀧ノ谷、五郎ヶ谷、入ノ谷、ふりが谷   戸塚宿より鎌倉への路、村の 西南界のかかれり、幅2間
砂押川:板橋2、切通し橋、離山橋 寺:大長寺


この橋から先が松竹通りで左手に松竹の撮影所が有ったのだ…今は大手スーパー が出来ている。
道は中央病院で右に折れ、離山の交差点に達する。
地名からも、この辺に山が有ったのか…?
(この時は住宅が密集して気がつかなかったが、右手の建物は高いところに有った。)
交差点を左折すると常泉寺に向かい、現鎌倉街道とぶつかる。
道を直進すると…、100m程先の左手に郵便局があり、その向かいに 離山富士見地蔵尊が有った。
この山については家に帰ってから偶然インターネットでみた ホームページ 「歴史加藤塾」
に触れられていた…。


「かまくら道」は資生堂の工場の前の大きなビル(芝浦メカトロニクス)に続いていたようである。
現在はこのビルで寸断されているので、砂押川を越え郵便局の手前を川沿いに右折し、 1つ目の通りを左折した道である。
明治のこの辺りの地図を見ると絵図の橋を渡って左手にある山は腰山である。
腰山は郵便局付近にあったと思われるが全く痕跡すら無い…が、その先に進むと 住宅が密集しているが、確かに低い山の麓の沿って道が続いているのが良く解った。 (腰山と長山の間が大船駅前から中央病院へ抜ける道が通っている所ではないだろうか?)
但し、この道に道祖神などの遺物は見当たらなかった。(この道は、車が交差するには 大変狭い道である。)

鎌倉道に沿って有った山については「掲示板」に「じろっち」さんが書き込みをしてくれました....。
山の状況を残さない程になったのは、第二次大戦の時に、この山が空襲の目標となる事を恐れ、崩した のだそうです。
なお、鎌倉道を遮っている、「芝浦メカトロニクス(芝浦製作所)」は艦船用の砲台の座を作っていたそうです。



砂押川 右手が(郵便局… 鎌倉中ノ道は砂押川の先のビルで寸断(戸塚方面)…右手が郵便局 鎌倉中ノ道 右手が山の跡…(戸塚方面) 離山地蔵の左の鎌倉中ノ道 右手が高く山…(戸塚方面)

離山地蔵の交差点(戸塚方面)..地蔵の左手が旧鎌倉中ノ道 狭い道を抜けた所が離山で左手に馬頭観音、庚申塔(文化10年(1814)の銘)が有り、離山地蔵 、「旧鎌倉道中道」の標柱があった。
標柱には次のように記されていた。

この付近は「ななれ山」と称され、最高50mの山が南北1km程に横たわっていた。 鎌倉道に接して古くから史話伝説に富み、最南端を地蔵山とよび山上の十三塚に 石の地蔵尊が安置され富士山を仰いでいた。
戦後山裾におろされさらに道路の拡張工事でここに移された。


どう考えても高低差は現在50mも有る所は無く、宅地造成でかなり崩されたのであろう…。

また、【相模国風土記稿】の大船村を見ると
【相模国風土記稿】大船村:昔此地、瀕海にして粟を積せたる船着岸せし縁 故に因り粟船村と唱へしと伝ふ…
東西24町南北8町余、東、今泉村 西、小袋谷、岡本二村 南、山之内、台二村 北、笠間村
高札場:槽免、大明神、岡、御壷ヶ谷、槽垣....
戸塚宿よりの鎌倉道村内を通ず幅2間
離山:鎌倉道の南側にあり、8町余の間に三山並び立り、高20間より30間許に至る。
中に在を長山、形状を以て名く。北方を腰山、山腹に洞井あり、徑井中隋あり、其深測る べからず.....
南方を地蔵山、(山上に地蔵の石像を置、古塚13あり、高1丈より6尺に至る。来由を伝へず) と名づけ概して離山と称す。
戸部川:西界を流る、幅8間より10間、砂押川:北界を流れ戸部川に合す、板橋を架す、 砂押橋と呼ぶ、長2間余  寺:常楽寺

と記述されており全て合致する。
離山馬頭観音 離山地蔵 離山鎌倉中ノ道標 地蔵の先の鎌倉道..

「かまくら道」は通って来た道を道なりに直進、小さな川を渡り、広い通りを横切り成福寺への道に 繋がる…。
地名が小袋谷に変わり、しばらく行くと左手前方にこんもりとした小山が見えてくる。
先に進むと、正面にJR横須賀線の踏み切りが目に入る、踏み切りのすぐ左手に成福寺 が有った。
小袋谷
【相模国風土記稿】小袋谷村:江戸より行程12里余、広30町袤8町余 東北、 大船村 西、山崎村 南、台村  民戸25外長吏3戸
戸塚宿より鎌倉への道、村の中央を通ず、幅2間 戸部川:村西を流る、戸部橋 寺:成福寺

【相模国風土記稿】台村:江戸より行程12里 東西17町余、南北6町許、東、 山之内村 西、戸部川を隔て岡本村 北、小袋谷村 南、山崎村 艮、大船村 民戸61
藤沢より鎌倉への往還、村の北方を通ず、幅2間より4間に至る。又、戸塚より鎌倉への路 小袋谷より入り幅6尺、村界にて前路に合す。
高札場:市場

【相模国風土記稿】山之内村:江戸より行程12里 民戸87 東西10町余、南北 8町余、東、雪下村 西、台村 南、扇谷村 北、大船村
高札場:尾頭ヶ谷




地蔵の先の鎌倉道..左手の緑の山は成福寺 成福寺山門 手前はJR横須賀線.. 成福寺題目石 水堰橋(すいせきばし)傍の道標 風化し読めない..

県道302に出たところ…正面が横浜鎌倉線の小袋谷の交差点、右すぐに水堰橋(すいせきばし)があり、江の島、藤沢方面へ.. 山門脇の題目石には文化9年(1813)の銘が有った。
寺を出て踏み切りを渡り100mほど進んだ川の脇、右手に有形文化財の道標が有った、 刻まれている文字は風化し、読み取れなかった。(道標と云うより庚申塚のようであるが…)
説明板か何かが欲しい所である....。
(後日の調査でこの道標は享保12年の銘の観音道標とのことである。
道標のすぐ先で県道302と合流、右手すぐの川に架かっている橋が水堰橋 (すいせきばし)で 橋を渡り、右…江の島、藤沢へと続いており、途中左に入ると旧江嶋道 の入り口が有ります。

「かまくら道」は左で、すぐ先に現鎌倉街道の小袋谷交差点があり、台、山之内となります。
この先が北鎌倉で観光地となります。歴史的に有名なお寺も多くありますが、お寺については 観光ガイドブックでも見てください。 あくまでも絵図の「かまくら道」を中心に見て行く事とします…。


交差点を直進し、次の信号を右に入り小袋谷川に架かる宮の台橋を渡り坂道を上って行くと 光照寺があります。
絵図では覚照寺となっていますが、誤字でしょう....。
このお寺は藤沢宿、遊行寺(時宗)の末寺との事でした。 光照寺山門 北鎌倉駅前 右が牛馬道 円覚寺の牛馬道

光照寺をでて東進すると250m程で小袋谷川に架かる十王堂橋を渡ります。 橋の先50m程先の右の路地に入ると正面にちょっと大きな稲荷社がありました、山中?稲荷 と書いてありました。絵図にある稲荷でしょう....。
円覚寺山門 国宝大鐘道の道標 文化9年?(1813) 円覚寺の洪鐘 路地の先100mでJR横須賀線「北鎌倉駅」です。 驚いたことに「北鎌倉駅」の正面に絵図にある「牛馬道」が残っていました。
道の両脇には石垣が残っていました。
北鎌倉駅の裏が円覚寺で様々な歴史的建造物が有りました。

浄智寺付近 浄智寺の山門 円覚寺の先、右手には東慶寺、浄智寺と続き、その先でJR横須賀線の踏切を渡ります。
踏み切りの先、すぐ右手に安部清明大明神の道印があった。
絵図で高札の有る辺りである。




長寿寺 亀ガ谷坂の切通し 亀ガ谷坂の道 その先の右手の小高い所に稲荷と供養塔があった。(これも絵図にある稲荷であろう。)
更に右手に足利尊氏の墓のある長寿時があるも、拝観はできなかった。
その脇の道が亀ガ谷坂の切通しへの道で、銭洗弁天に抜けることが出来る道のようであるが、 反対から上ってきた人はきつい上り坂で大変だと話していた…。
切通しは200m程上った所にあった。(狭い道ながらも緑が多くハイキングには最適な道かも....。)

第六天付近 第六天 第六天 庚申塚 「かまくら道」に戻り、先に進むと右手に第六天があり、右に庚申塚がある。
山の頂上にあるだろう第六天へは立ち入り禁止で上ることは出来なかった。


建長寺の裏門 建長寺 そこから、建長寺の裏門が見えた。
大きな寺だが大半が焼失し、新しい建物に変わったようである。


円応寺題目石 円応寺 巨福路坂 旧道は右にあった。 建長寺の斜め向かいに円応寺があった。 絵図では新居閻魔堂、閻王寺となっている。入り口に題目石があり、元禄4年(1692)の銘があった。
堂内には色々な閻魔が置いてあり、7日ごとに7人の閻魔に生前の罪を問われるのだそうだ。
円応寺を出ると巨福呂坂の洞門がある。
この道は新道で、旧道は私有地のため通行できないそうだ…でも、新道も切通しで雰囲気はある。
八幡宮まで下り坂が続くが、昔は途中に猿茶屋があったが、今はレストランやケーキ屋がある。
坂を下ると左手が鶴岡八幡宮である。




鶴岡八幡宮 鶴岡八幡宮 八幡宮はこの日も大変な賑わいでた。
帰りは江ノ電で帰途に着きましたが、朝の通勤ラッシュ並の込み具合でした....。

絵図をたどる「鎌倉道」はここ八幡宮で終点ですが、「浦賀道見取絵図」は浦賀まで続きます 何かの機会が有ればこの先まで歩いて見たいものです。


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