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東海道五十三次[平塚宿]
2001/09/08 歩破
平塚は北条氏が城郭を築いたことから発展した町で、相模川を利用した
物資の集散地や、東海道、中原往還(中原街道)、八王子道が通るため交通の要
所として栄えました。
市内御殿には徳川家康が鷹狩のために造営した中原御殿がありました。
また、平塚宿の本陣は贅沢な約百坪の総ケヤキづくりであったと伝えたえられております。
【平塚宿の規模】
本陣:1 脇本陣:1 旅籠:54軒 総家数:443軒
町並 東西に十四町六間(約1.5km)
宿内人別 2,114人(男:1,106 女:1,008)
四ツ谷で国道1号線と合流した旧東海道はそのまま相模川まで続きます。
東海道は江戸をでて、ここ相模川で再び(多摩川に次いで)分断されます。
旅人は「馬入の渡し」で船に乗り川を渡りました。
江戸時代の馬入の渡しは次のようなものでした。
船着場は中島村と馬入村にあったが川会所、川高札は馬入村にあった。
川会所には川名主3人、川年寄3人が詰め、船頭は昼夜を問わず16人が詰めていた。
渡しで使用される船は御召船、役船、馬船、平田船、小船が有った。
小船は定員20名余で長さ5間2尺(約9m)、馬船は馬が荷物を積んだまま横向きに乗る
ことが出る大型の船であった、平田船は船底が平らで、大きい物は長さ7間、幅9尺ほど
もあったという。
渡しには川止めがつきものだが、相模川の川止めは1月〜6月は水丈が7尺より3尺
増水すると川止め、7月〜12月は水丈5尺に対し、やはり3尺増水すると川止めとなった。
川明けは1尺減水(2尺の増水)で川明けとなった。
また、馬入川も、寛永11年(1634)7月将軍家光が上洛の時と、慶応元年5月19日 将軍家持
が長州征伐に際して舟橋を架けたとの記録がある。
【馬入村薬種屋久五郎の記録】慶応元年5月19日長州征伐のため将軍家持公様、御
進発御通行あそばされ候。当方前にて御馬を召し遊ばされ候。また当川二瀬とも舟橋に相成
り候。
現在では当然、渡しは無く相模川に架かる馬入橋を渡る…。
橋を渡ると馬入本町である。
【相模国風土記】馬入村:民戸129 東西12町半、南北11町40間半、東海道往還
村南を東西に貫く、道幅3間余、ここに一里塚、高6尺、上に榎樹あり、東方は高座郡茅
ヶ崎、西方は淘綾郡大磯宿への一里塚なり
渡船場:相模川にあり、東海道の往還にて馬入の渡と唱ふ、渡幅70間余、是平水
の時なり、常は船6隻、渡船3隻、平田船2に水主3人宛なり、御召船と称する1を置
助郷の村々:高座郡田端、一之宮、門沢橋、中新田、河原口等五村 当郡戸田、大神、田村三村
愛甲郡厚木村、鎌倉郡材木座、坂之下、三村等…
馬入本町に入り200m程行くと国道1号線は緩やかに右にカーブする。
旧東海道はそのまま直進…この辺から南北に走る国道129号線と交差するあたりに一里塚が有
ったはずである。
残念ながら当時の面影を残す物は何も無い。
分間延絵図の一里塚の手前右手の薬師のあたりには現在、蓮光寺がある。
傍に、寛永の銘のある石仏がある。
【東海道分間延絵図】にある第六天社、神明社を探してみるも見当たらなかった。
ただ、国道を隔てた右手の地名が榎木町からひょっとして一里塚に植えられた榎から出てい
るのかも…と思った。
国道129号線を渡ると、蔵屋敷というバス停が有る、【東海道分間延絵図】を見るとこのあたり
は馬入村の外れで、その先は松並木が新宿まで続く……その先のバス停は松原だ。
西進し、宮の前に入る、この辺が新宿のあたりである。
【相模国風土記】新宿:本宿の東に続けり、東海道は東西に通じ其左右に民戸119
(内24戸は本宿に住す)連住す
脇往還二条あり 厚木八王子道、大山道…
宮の前(新宿)を抜け、明石町、見附町となり見附の交差点から70mほど先の左手に2001年
10月に復元された江戸方見附がある。
江戸見附の大きさは長さ3.6m 幅1.5m 高さ1.6mで上には矢来がある。
明治14年頃の平塚江戸方見附の写真を載せるので、比較してみてください。
【見附】東海道の宿場の出入り口には、見附が有り、宿の江戸側(東側)にある
物を江戸見附、京(上方)側すなわち西側にある物を上方見附と呼び、江戸見附と京見附
の間が宿場となる。
見附の構造は東海道に直角に位置し、台状に土手が築かれ、周りを石垣で囲み、頂部に盛土
をし、更にその上に矢来(柵)が設けられている。
神奈川宿の江戸見附は土居と呼ばれ、長延寺の門前に有り、規模は幅2間2尺(約4.2m)
頂部の幅2尺(約60cm)、高さ8尺5寸(約4.2m)で上に高さ2尺5寸(約75cm)の
柵が設置されており、(【神奈川宿入口土居絵図】)平塚の見附よりかなり大きな物
となっている。
見附は当初は防衛施設として設置されていたと思われるが、【東海道分間延絵図】で
省略されていたり、【東海道宿村大概帳】には項目すら無いことから、江戸後期には
重要視されていなかったと思われる。
見附は浮世絵にも描かれ、広重の東海道五十三次(保栄堂版)では大磯(虎ヶ雨)、
藤川(棒鼻ノ図)などに描かれている。
再現された江戸見附を過ぎるとようやく平塚宿である。
【相模国風土記】平塚宿:慶安4年、当宿団窮なるに依て、平塚新宿を以て宿内に加
へられ…東西19町5間余、南北24間余、東海道東西に貫く、幅4間1尺より6間に至る 民戸289
多くは往還の左右に連住す 宿の家並9町5間 本陣、脇本陣及旅籠48 二等あり 中15
小33あり、
東海道より北に入る脇往還あり、田村道……、 大磯宿へ27町なり
宿は江戸方より十八軒町、二十四軒町、東仲町、西仲町、柳町の5町で構成され、
二十四軒町は加宿平塚新宿から移住してこの名が付いた。
残念ながら現在、当時の地名は全く残っていない。
見附から400m程行くと、右手に脇本陣跡の石柱がある。
脇本陣は本陣の補助的役目をした、本陣に次ぐその宿の有力者が経営したが、屋敷の規模
等は本陣に及ばなかった、また脇本陣は平時は旅籠として利用された。
平塚宿の脇本陣は天保年間には西問屋場の西から二十四軒町の北側の現在地に移り
山本安平衛が営んでいた。
更に脇本陣から100m程の右手に高札場跡がある。
説明文によると高札の規模は長さ二間半(約5m)横一間(約1.8m)、高さ一丈一尺(約3m)
平塚宿から藤沢宿、あるいは大磯宿までの公定運賃を定めたものの高札なども揚げられて
いた。
神奈川宿の再現された高札場の大きさが、間口5m、横1.5m、高さ3.5m であったからほぼ
同じ物が有ったと考えれば良い。
その向かいに東組問屋場跡がある。
更に西に100m程行くと、街道右側の「神奈川相互銀行 平塚支店」前に
本陣跡の石碑が立っていた。
碑文によると、本陣の規模は間口約30m 奥行き約63mの建物だったようだ。
正面には高麗山が目に入る。浮世絵で有名だが、なぜか地元の自分にとってもチョット
気になる?山である。
本陣より北に延びる道路がある、これが風土記の田村道にあたるのだろうが、現在は
平塚伊勢原線となっている。
ここより700〜800m北上すると、平塚市中原で、中原街道の入り口となる。
【中原街道】徳川家康が江戸に入ったのは天昇18年(1590年)で、この頃にはまだ東海道は
整備されておらず、家康は起伏も少なく、ほぼ直線で江戸に入れる事から、この中原街道を
通りました。
更に家康は鷹狩をするために中原に御殿を造営し、鷹狩ばかりではなく江戸と駿府
の往来の際にもここを利用しました。別名「雲雀御殿」と呼ばれた。
中原街道は中原、真土、四之宮、田村(田村の渡し)、一の宮、用田、瀬谷、佐江戸、丸子
(多摩川)、洗足池…虎ノ門と続いている。
1601年に宿駅・伝馬制度が定められ、東海道が整備されると、中原街道は脇往還となりま
した。
しかし、その後も起伏が少ない事からも沿線の物資や農作物の輸送などに、また大名行列が
通らない事から抜け道としても利用されました。
本陣跡から西進すると道路が二股に分かれる、右側が旧東海道で別れてすぐの右手に
なまこ壁の消防所がある、ここが西組問屋場跡である。平塚宿には東西2つの問屋場が設け
られていた。
東西2つの問屋場は旬毎に(10日ごとに)交互に運営されていた。
西組問屋場跡の路地を右に入って行き突当りを左折すると公園がある。
その公園に平塚の塚があった。
写真の右の石垣に囲われた中にある。
ガイドブックによると
「平塚」の地名の起こりの塚で、天安元年(857年)桓武天皇の曾孫で坂東平氏の
始祖といわれた真砂子が一族とともに東国へ向かう途中、ここで没したため、
遺骸を埋め、この塚を築いたという。
呼び名も当初は「たいらつか」だった。
旧東海道に戻り、原田家の石造の土蔵を探すも見つけられなかった。
街道を進むと、国道1号線とぶつかる。交差点を左折し1号線を歩く。
100m程行くと、西組問屋場跡で分れた道路と1号線とが合流する3差路がある。
ここが古花水だ、ここに上方見附跡がある。
そこから300mで花水橋で橋の右袂に、街道400年を記念しての平成の一里塚があり
チョット休憩できるようになっている。
花水川を渡ると大磯宿である。(古花水は大磯町である)
この花水川の主流は昔は古花水あたりを流れていたが、流れが少なく不便との
理由で宝永6年に現在の流れの場所に改修されたとの事である。
【相模国風土記】花水川:この川もとは今の流れより少なく南にありしが小流不便な
る故宝永6年堀改められる
また、大正7年頃の高麗山の写真を載せます。東海道の雰囲気が解ると思います。
平塚の浮世絵と富士山…
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