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神奈川の旧東海道を歩く
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江ノ島道


「江ノ島道」とは藤沢宿から江ノ島へ至る道のことで大山詣の人たちがその帰りに江ノ島弁財天に参詣する道でもありました。
遊行寺から片瀬山の麓を歩いて片瀬海岸に至り、洲鼻(すはな)という砂嘴(さし)から 小船で江ノ島に渡った(藤沢宿から江ノ島までは約一里の道程でした。)道である。
江ノ島弁財天は鎌倉幕府を開いた源 頼朝が1182年(寿永元年)に奥州平泉の藤原氏征伐 の戦勝祈願のため勘進したものである。
江戸時代になると庶民の間にも大山詣でや弁財天信仰が盛んとなり、江戸から約3泊4日と 手ごろな距離にある江ノ島は信仰の地としてまた遊興の地として大変賑わいました。


遊行寺を出て遊行寺橋を渡ると右手が「東海道」、左手が「江の島道」…
江戸時代は大鋸板橋を渡った…そこには江ノ島弁財天の大鳥居とその傍らに江ノ島道印石 が有った。浮世絵にも描かれているが、今は無い…。
現在はどうであろうか?遊行寺橋を渡って400〜500m程遊行通りを南進した小さなロータ リーに江ノ島道印石が有る。(杉山検校の道標)
石には「一切衆生」「二世安楽」「ゑのしま道」と刻まれている。
特に説明板は無い。


道印石のある分岐 江ノ島弁財天の道印石 「一切衆生」江ノ島弁財天の道印石 「二世安楽」江ノ島弁財天の道印石

そのロータリーを右に入り、50m程行くと左手に寛文十三年(1674)庚申供養塔がある。
ロータリーの右側の道路が現在の道だが、思うに現在の江ノ島への道は境川の改修工事に より出来た道で、右の道が旧道であろう。庚申塔の存在で確信が持てた。(この庚申塔は 東海道分間延絵図にも見られる。この通りが遊行通りである。)
ここの庚申塔は県の重要文化財で本尊は60年毎の開帳との事だ。

藤沢の庚申堂 庚申塚

ファミリー通 「遊行通」を直進するとJR東海道線に突当り、往時の江ノ島道は寸断、JR東海道線を隔てた、現 「ファミリー通」に続く…。
今は商店街で昔を想像できるような物は全く無い。
ここで寄り道をして藤沢市役所の旧館に足を向けた…。旧館の左手隅に鎌倉道標が3基置 かれているのだ…。
内2基には「一切衆生」「二世安楽」「ゑのしま道」と彫られ道中する人の一切衆生の現 世及び来世の安楽を祈念したものである。
この道標は関東全域の盲人の総帥(最高位)である関東総検校となった杉山和一が寄進し たもので当時は48基有ったとされている。(内2基がここにある)
後の一基は江戸中期に造立されたものらしく、「願主 江戸糀町」「従是右江嶋道 左瀧 口道」と刻まれている。

藤沢市役所の江の島道標 「一切衆生」「ゑのしま道」 「二世安楽」「ゑのしま道」 従是右江嶋道 左瀧口道

ファミリー通」に戻り、緩やかな坂を下っていくと左手に木々に囲まれた小さな公園がある。
砥上公園だ。公園内に庚申、道祖神がある。
西行法師、鴨長明の歌に読まれた「砥上(とかみ)が原」「石上(いしがみ)」はこの辺らしい..。
また江戸時代には,この辺は江の島詣、大山詣の道筋で賑わい、石上舟渡船場が有り、砥上地蔵尊、 石上神社が有ったとの事。(神社は境川の氾濫で度々水に浸り昭和初期に現在の場所に移ったとの事である。)
今の川からは想像できないが…かなり河川改修をし、流れも大幅に変わったようである…。
砥上公園 道祖神 砥上公園 庚申塚 公園を左折、国道467号線と合流する。
右手正面に市民会館、体育館、消防所、図書館が連なり、その裏側に境川が流れている。

境川と柏尾川の合流点 右が柏尾川 市民会館裏の境川 渡しはこの辺? 境川沿の道

市民会館の裏手の新川名橋のすぐ上流で境川と柏尾川が合流しているのが見える。
川沿いの道を南下すると上山本橋がある。この辺りの川幅はかなり広い。
江戸時代に有ったと言う石上の渡し(川袋の渡し)はこの辺だったようである…。
また時には舟を2艘並べた船橋を架けた事も有ったようだ…。
庚申塔(享保12年) 岩谷不動 境川は下流部では片瀬川と呼ばれ、物資を運ぶ重要な交通路で上山本橋付近には物資を積み下ろ しした河岸(かし)があり、多くの船が行き来していたという。
現在もこの橋より下流にはプレジャー船が係留されている。
上山本橋を渡り30m程行った左手のマンションの前に庚申塔がある。(享保12年(1728)の銘)
更に道なりに南下していくと「江の島道」は境川に流れ込む小川の架かる馬喰橋、そして 境川に架かる新屋敷橋の脇を通る。
その先左に岩谷不動入口の道標が有った。(現代の物である)
行って見るとここはかって弘法大師が穴居修行をしたと伝えられている所で、後に石籠不 動尊が建てられたらしいがその後、廃寺となった所らしい…。
修行場の雰囲気は有った。
片瀬2丁目付近江の島道 片瀬小 江の島道標 泉蔵寺 山門 泉蔵寺の庚申塚

「江の島道」に戻り歩く、片瀬小学校のグランド入り口に4つめの杉山検校の道標が有った。
隣は泉蔵寺で山門前に庚申塔があった。
泉蔵寺の脇では地元の人が酷暑の中、諏訪神社の祭礼の準備をしていた。
ここで道は諏訪神社上社への道と諏訪神社下社への道に別れる。左の上社の道に進んだ。
諏訪神社上社の庚申塚 蜜蔵寺の山門 弘法大師道標 蜜蔵寺 弘法大師道標 蜜蔵寺

道は緩い登り坂となる。東り町、下の谷山車小屋の脇に庚申塔があった。
そのすぐ先の山の上に諏訪神社上社が見え、道が下り坂になるとすぐ蜜蔵寺が有り、 山門前に道祖神と「弘法大師道」と刻まれた道標がある。
別の面には「向 江嶋道」と刻まれている。
境内に入ると六地蔵と弘法大師の石仏がずらり並んでいた。
蜜蔵寺の先20m程で道路は2又に別れそこに5つ目の杉山検校の江の島道標と道祖神がある。
二又を右に…道なり進むと、国道467と合流するが、合流点のすぐ左手に一遍上人地蔵堂跡の標柱が あり、休めるようにベンチが置いてあるも、他に何も無かった。
国道には出ずに、そこを左折すると本蓮寺の前に出た。(この道を左折すると 蜜蔵寺の二又にでるようである。)
江の島道道標 片瀬3-2 本連寺山門 市民センター前の道標

本蓮寺の前を右折すると片瀬市民センターが右手にあり、そこに6つ目の杉山検校の 江の島道標がある。
その反対側の西行の戻り松があり(想像していたよりも小さい)さらに道標が有った。
うっかりすると見落としそうな所にあり、実際見つからず探し回った…。
戻り松とは枝葉が西に傾いているのが特徴だそうで、そのいわれは次の通りである。
昔、西行法師が東国に下った際にこの松の枝振りの見事さに都を恋しくなり、思わず見返って 枝を西に捻ったと伝えられています。
その太さからもその何代目かの松でしょう…ちなみにこの松のある家の屋号は「もどり松」だそうです。 (地元のおばあさんに聞いた…)
西行戻り松の道標 寛文庚申塔 寛文庚申塔から市民センターを.. またここの道標の一面には杉山検校が寄進した道標のうち唯一「西行もどり松」と刻まれている。(7つ目)
そこから50m程先の右手には寛文庚申塔があり、向かいに常立寺がある。

庚申信仰については「茅ヶ崎」の二ツ家の庚申塚の「庚申信仰」を参照してください。

そこらら80m程いった片瀬郵便局前の二又道にも道標がある。
この道標には「願主 江戸糀町」「従是右江嶋道 左瀧口道」とあり説明文には江戸中期に造立されたと 書かれている。
市役所の一つの道標と同じ文字が刻まれているようであるが、形も異なり、何よりも文字がはっきりしていた。 (ひょっとして複製か?)
片瀬郵便局前道標 洲鼻通の江の島道標 そこを右に入り、国道467を渡り湘南江の島駅(江電)の前を通り洲鼻通を行くと、休日も有ってか すごい人通りであった。
通りの中程、右手にまたまた道標が有った。
ここの道標も杉山検校が寄進した道標(8つ目)であるが、平成10年に道路工事の際、地下から発見された との事で、文字も、石も綺麗である。


今回歩いた江の島道











洲鼻通を更に歩いて行くと正面に江ノ島が見えてくる。
昔は砂嘴(さし)であった上に道路ができ、歩いて渡れるようになっているが、車は夜間 ゲートが閉められるようである。
江ノ島弁財天は正面やや右にある。島に渡ると青銅製の鳥居が見え、上り坂の参道が続く。 参道を登っていくと本殿の手前に杉山検校が寄進した道標(9つ目)と福石があった、本殿の 更に先に中津宮があり、前に寄進された燈籠がある、左手の物は天明2年、安政6年の銘が あった。
中津宮からの対岸の景色は良かった。
この時は満潮で砂嘴(さし)も海に浸かった状態であった。

江の島神社の参道 検校の江ノ島道標、福石 検校の江ノ島道標 中津宮

中津宮から藤沢方面..左の川が境川

江ノ島神社で江ノ島道の終点である。

藤沢市では12基の道標を重要文化財に指定しており、今回歩いた「江の島道」以外には 白幡神社境内、法照寺(鵠沼神明)境内にあるようだ。いずれも杉山検校寄進の 道標である。


関東総検校 杉山 和一

杉山 和一:杉山和一は幼くして病気にて失明…、江戸に出て鍼術を学ぶ ため検校山瀬琢一に弟子入りした。
しかしながら、才能面で問題多く破門され、江ノ島弁財天で断食祈願を続けた。
その際、管鍼を思いつき、更に京都で鍼科を習得、江戸で杉山式管鍼を開業し、名声をはせた。
寛文11年(1671)には検校(けんぎょう)となり、幕命で鍼冶(しんじ)講習所を開き多くの 門人を育てた。
将軍綱吉からの信望も厚く、元禄5年(1692)には関東総検校となった。
江ノ島弁財天への信仰も厚く、元禄3年(1690)には下之宮(現辺津宮)の社殿再興 、元禄6年(1693)には三重塔建立と江ノ島に深く係りを持つ人である。



その他の「江の島道」


その他の「江の島道」として鎌倉道の小袋谷〜台〜上町屋〜手広〜津西〜腰越〜江の島 という道も有った。
戸塚宿からの鎌倉道から分岐し、江ノ島への道である。
台町の神明神社 神明神社の庚申 万延元年(1860)の銘 神明神社の切通付近

小袋谷から台町の神明神社に抜け、切通しを通り、山崎小学校の前を通り 湘南モノレールの通る山崎 へ抜ける道である。
山崎小の先の切通 小袋谷方面…右の木に庚申 山崎の庚申塔 山崎の江の島道標

険しい登り坂は無いが、山の迫った狭い道が多く、驚く。
山崎の交差点の手前に江の島道標がある。「従是江の嶋道」 「願主:梅沢…」「文化8年(1812)…」と刻まれている。
別の江の島道

山崎から上町屋〜寺分〜梶原〜手広に道は続いていたろうが、大手企業の工場がこの辺を占有し 旧道は解らない状況である。
山崎の江の島道 右手に道標 小袋谷方面.. 手広の鎖大師道標、椿地蔵、弘法大師一千年忌
        供養塔 供養塔から青蓮寺方面…

手広に出るとようやく県道32号の手広交差点の東に江戸時代に建てられた「弘法大師千年」の供養塔、  椿地蔵(いぼ地蔵)、道標(右くさり大師、左かまくら)があり、旧道に所在が解る…そこから 南下する道が鎖大師(飯盛山青蓮寺)への道であり、鎌倉山、津に抜ける江ノ島道であった。
青蓮寺に近づくと道は車1台が通れるような狭まい道となり、折れ曲る…そうして道なりに行くと 谷戸坂の切り通し(残念ながら現在は通行止め)へと続く…。
青蓮寺手前の大師道 狭い道だ… 青蓮寺山門 谷戸坂切通し前.. 谷戸坂切通し

大師道道標 道標の左が大師道…途中、供養塔からの道と合流する 津西の江の島道道標.. 青蓮寺はその本尊である弘法大師坐像の膝に鎖を使っていることから鎖大師と云われているよう である。(鎌倉中期の像)
供養塔から東、250m程の県道32号の右手にくさり大師の小さな道標が有った、鎌倉(大仏からの道) から、くさり大師に抜ける近道の道標であろう。(この道は供養塔からの道と先で合流する。)

谷戸切通しからは鎌倉山の西を通り、津に抜けるが、津西には昔腰越にあったという、杉山検校の 道標がある、この道標は、藤沢のように文化財に指定されてはいないようだ。


よく探せばまだ「江の島道標」が見つかるかも知れない....。
もし、ご存知の方がいれば是非ご一報下さい。


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